物語りたい

まだまだ物語り足りない

オーディオ・ドラマ(ラジオ・ドラマ)

最近は、ラジオを聴くことは少なくなったが、自分は映像抜きの音だけのドラマも好きで、主に中学生の頃によく聴いていた。

自分の自宅は、南九州のある県の県庁所在地にあるのだが、市街地中心部からはずっと離れた郊外の、田園風景の広がる、まだまだ豊かな自然に恵まれた場所だ。その田園風景に住む中学生たちの当時の流行と言えば、松山千春長渕剛などのフォークソング(この頃ニューミュージックと呼ばれ始めた)であったり、豆をミルから挽いて淹れてこだわりのコーヒーを飲んだり、BCL(Broadcasting Listening / Listeners)と言って、外国の短波放送を聞いたり、横溝正史の小説を読んだり、深夜ラジオを聴いたり、、そんなことだった。

自分も中学に入学した頃からラジオを抱いて、子守歌代わりに深夜放送を聴き始めた。洋楽をメインにした放送(確か、「オール・ジャパン、トップ20」という番組だったような記憶がある。せんだみつおがDJだった。。)を好んで聴いていたが、番組の挿入曲にビートルズの「ミッシェル」が流れていたのを、まだまだ子供だったはずなのに、切ない曲だなあ、と毎回心を震わせながら訳もなく涙を流しながら聴いていたのをよく覚えてる。

そして、それを続けていると、ちょうど独立心が芽生えてきたころでもあり、徐々に家族とは離れた時間を持つようになり、独りでラジオに耳を傾けることが多くなった。

そんな中、ラジオドラマや落語放送も聴き始めた。

「ミッシェル」を聴き、訳もなく涙を流したように、若い心を持っていた自分に深夜に聴くドラマや音楽は心に沁みることがあり、「ゴジラ」の音楽で有名な伊福部昭交響曲に涙を流し、「宇宙戦艦ヤマト」のラジオドラマを聴いて涙を流し胸を打ち震わせたのを覚えている。

自分の幼い頃の感傷を書いてしまい恥ずかしいが、ラジオで聞くドラマや噺にも十分な魅力があり、捨てがたいと思うのだ。

とは言っても、今の自分も腰を据えてラジオを聴くことは全くない。ただ、思い出したようにタブレットやPCのラジオアプリを起動させ、聞き逃したドラマを聴いたり、予告を確認してその時だけ聴くにすぎない。そして、YouTubeで公開されているラジオ番組や朗読、落語などを聴くだけだ。

それでも、聴けば満足する。

ちなみに、自分が難病を発症し、ほとんど一人では生活が維持できなくなった5年前、絶望的になり、いつも死の恐怖におびえていた時、YouTubeで「葉っぱのフレディ」の朗読(森繁久彌の朗読)を聴いて、死の恐怖を乗り越えられた。脳手術を受けて、とりあえず自分の身の回りのことができるようになった今も、気になる時に繰り返し聴くことにしている。