物語りたい

まだまだ物語り足りない

2019年7月13日現在、観ている、興味深いドラマ

今は、梅雨の最中。

もう少しの辛抱で梅雨が明ければ、猛暑や台風などが待っている。

子どもの頃は、これほど天候のことを考えはしなかったのだが、、と、ふと思う。

自分のことでの悩みや、楽しいことが中心の世界で、雨や台風、暑さなどはそれほど大変な問題ではなかったのだろう。

 

今、大人になって?、何十回もこの季節を迎え、悩みは少なくなり?楽しい出来事も少なくなり、天候が予測できないものになって気にかかるのだろうか?

 

さて、この時期観ているドラマや読んだ本のことなど書いてみよう。

今、集中的に観ていてシナリオ本も読んでいるのは、山田太一作品だ。NHKのBSや、BSトゥェルビで再放送が続いているのだ。

現時点で読んでいるのは、「沿線地図」。なかなか現代という時代に生きるもののことを考えさせられる作品。

その前に読んだのは、「想い出作り」と「早春スケッチブック」。

「沿線地図」を読み終わったら、「男たちの旅路」と「岸辺のアルバム」を読むつもり。「ふぞろいの林檎たち」は、本が手に入れば、、読もうか。。

 

山田太一。自分が20代30代の頃、活躍した作家だ。

何作か読んでみて、倉本聰とも向田邦子とも、やはり異なる世界を持っている。

一言でいえば、それは現代という時代を切り取って、この時代の意味、この時代に生きる人の思考や行動を深く考えているところだと思う。

人の生き方考え方を主題にしているから、今観ても古いとはあまり思えないのだ。

生き方にもがいている登場人物たちを観ていると、同じ生き苦しさを感じながら生きている自分にも少し共感めいたところが感じられる。

 

倉本聰の人間関係や舞台の緊迫感、台詞の巧妙さ、向田邦子の人間心理を突く台詞とは、まったく一線を画す作品群をしばらく堪能してみようと思う。

 

最後に。

YouTubeで、「どてらい男」の第1話を観た。

あー、全作品観たい。。!!

 

オーディオ・ドラマ(ラジオ・ドラマ)

最近は、ラジオを聴くことは少なくなったが、自分は映像抜きの音だけのドラマも好きで、主に中学生の頃によく聴いていた。

自分の自宅は、南九州のある県の県庁所在地にあるのだが、市街地中心部からはずっと離れた郊外の、田園風景の広がる、まだまだ豊かな自然に恵まれた場所だ。その田園風景に住む中学生たちの当時の流行と言えば、松山千春長渕剛などのフォークソング(この頃ニューミュージックと呼ばれ始めた)であったり、豆をミルから挽いて淹れてこだわりのコーヒーを飲んだり、BCL(Broadcasting Listening / Listeners)と言って、外国の短波放送を聞いたり、横溝正史の小説を読んだり、深夜ラジオを聴いたり、、そんなことだった。

自分も中学に入学した頃からラジオを抱いて、子守歌代わりに深夜放送を聴き始めた。洋楽をメインにした放送(確か、「オール・ジャパン、トップ20」という番組だったような記憶がある。せんだみつおがDJだった。。)を好んで聴いていたが、番組の挿入曲にビートルズの「ミッシェル」が流れていたのを、まだまだ子供だったはずなのに、切ない曲だなあ、と毎回心を震わせながら訳もなく涙を流しながら聴いていたのをよく覚えてる。

そして、それを続けていると、ちょうど独立心が芽生えてきたころでもあり、徐々に家族とは離れた時間を持つようになり、独りでラジオに耳を傾けることが多くなった。

そんな中、ラジオドラマや落語放送も聴き始めた。

「ミッシェル」を聴き、訳もなく涙を流したように、若い心を持っていた自分に深夜に聴くドラマや音楽は心に沁みることがあり、「ゴジラ」の音楽で有名な伊福部昭交響曲に涙を流し、「宇宙戦艦ヤマト」のラジオドラマを聴いて涙を流し胸を打ち震わせたのを覚えている。

自分の幼い頃の感傷を書いてしまい恥ずかしいが、ラジオで聞くドラマや噺にも十分な魅力があり、捨てがたいと思うのだ。

とは言っても、今の自分も腰を据えてラジオを聴くことは全くない。ただ、思い出したようにタブレットやPCのラジオアプリを起動させ、聞き逃したドラマを聴いたり、予告を確認してその時だけ聴くにすぎない。そして、YouTubeで公開されているラジオ番組や朗読、落語などを聴くだけだ。

それでも、聴けば満足する。

ちなみに、自分が難病を発症し、ほとんど一人では生活が維持できなくなった5年前、絶望的になり、いつも死の恐怖におびえていた時、YouTubeで「葉っぱのフレディ」の朗読(森繁久彌の朗読)を聴いて、死の恐怖を乗り越えられた。脳手術を受けて、とりあえず自分の身の回りのことができるようになった今も、気になる時に繰り返し聴くことにしている。

 

原作と脚本

このドラマ(映画)、面白い!!

 

と思い、誰の作品だろう?と思って、調べてみる。

すると、十中八九、原作は脚本家のオリジナルではなく、小説であったりマンガであったりする。

世の中では、テレビドラマや映画の数に匹敵する数の小説や漫画が出版されていて、それを読む人はこれを映像化してみたいと思ったり、映像化したものを観たいと思ったりするだろうから、このことそのものは可笑しいことではない。

しかも、オリジナルの脚本(家)を発掘したり、育てるよりも早く、面白い原作が小説や漫画の中にあって、それが先に目に留まれば、そこからドラマ化され映画にされることの方が自然だ。

一方で、オリジナルの脚本で良質のドラマや映画を味わうこともあって、その脚本家に興味を持つこともあるが、原作が小説や漫画にあり、そこから映像化されるドラマや映画であることの方がやはり一般的である。

そういう捉え方をすれば、いかにも原作者がもてはやされ、脚本家はその原作をシナリオに書き直す、一つの部署で、1スタッフであるように捉えられかねない。しかし、実際に作られる映像作品の出来を決めるのはシナリオだ。

映像の特性や、俳優陣の持ち味を引き出す、そういうところまで原作は考慮されて書かれていないことが大抵なので、当たり前と言えば、当たり前である。しかし、自分がここで書きたいのは、それでも脚本家の持つ力についてだ。

原作を映像作品に作り直す際に、シナリオに書き直しにくいものもあるだろうし、原作がただ話題性に優れ、内容がサッパリということもある。また、原作が大作でその分量を映像化すると端折らなければならない部分が多く、原作の丁寧な表現が味気ないものになってしまうこともあり、逆に原作が見落としたり、簡単に書きすぎてつまらなくしてしまっているところを脚本が補い映像作品の方が数段面白い!という作品もあるのだ。

 

そんな脚本(家)のおかげで、面白くなったテレビドラマや映画を自分はずいぶん知っている。ここでは、原作作家バッシングに取られかねないので敢えて名を挙げることは避けるが、とりあえず最近のテレビドラマ化された原作(小説や漫画)で気になるものを読んでほしい。脚本(家)の持つ力を再認識できるはずだ。

現在進行中~!

このブログを始めて、昔のことばかり書いてきた。

 

これまで55年間、ダラダラと生きてきて、産まれてきてごめんなさい。。(m´・ω・`)mとしか言えないほどの、恥ずかしい人生を重ねてきたが、テレビは大好きだったので、記憶に残っているのだから、仕方がない。。

もうほとんど先の残されていない自分も、死ぬまではこれからもテレビを観続けることになるだろう。

だから、このあたりで最近の番組についても書いてみようと思う。

自分が今観ていて、最も面白いと思うのは、2011年10月から半年間放送されたNHKの朝の連続テレビ小説カーネーション」(再放送)だ。夏木マリも登場し、もう終わりに近づいているが、今までちゃんと観たことがなかった自分は、このドラマは今まで観た作品の中でも最高の部類に入るのではないか?と、毎回楽しみに観ている。椎名林檎のテーマ曲に始まり、挿入曲がまた良い。倉本聰のドラマ「前略、おふくろ様」も記憶に残る大好きなドラマだが、とくに「前略、おふくろ様part2」を、一話一話でヒシヒシと伝わってくる緊迫感に毎回心を震わせて観ていた、あの感覚を呼び戻させる音楽だ。

そして、尾野真千子の演技も良かった。実は尾野真千子の演技、いや、その存在を識ったのも、この「カーネーション」の再放送で観たのが初めてだ。いわゆる、「はまり役」だと思ったが、そうでもないらしい。先日放送終了したTBSの「この世界の片隅に」の径子役も、尾野真千子でなければならなかったと思えるからだ。

題材も良かったのだろう。ファッション・デザイナーの「コシノ3姉妹」と、その姉妹を育てた母親の話を、しかも「岸和田だんじり」を交え、大阪の岸和田を舞台にしたのも当たった要因だと思う。

その他に、気になったのが、脚本家、演出家、プロデューサーがみんな自分と同年代ということと、特に最近気になっているヒロインの起用方法で、青春期、壮年期、老年期を僅か20歳前後の女優ひとりに演じさせる、という最近の流れを、この作品では少女期、青春・壮年期、老年期をそれぞれ別の3人に演技させるという作品の完成度にこだわった作りにしているところだ。若い女優ひとりに老年期まで演じさ育てることも必要な場面もあるだろうが、きれいで若々しい手をして、シワひとつなくハリのある顔に白髪では演じている女優も可哀想に見えることがあるし、視聴者も違和感を拭えないだろう。「トト姉ちゃん」などのように気にならない作品もあったが、「べっぴんさん」のように観ていて困惑した作品もあったのだ。

おしん」の、小林綾子→田中裕子→乙羽信子と、各年代に分けて演じさせるという自然に近い起用法を、二宮星→尾野真千子夏木マリという起用にしたのも功を奏していると思うのだ。

 

他に、最近放送終了した、TBSの「この世界の片隅に」も良かった。この時代に新しい視点で太平洋戦争の愚かさと、平和を考えさせられた良質のドラマだった。映画が話題となって作られたドラマだし、映画と連続ドラマでは絶対的に時間が異なっていたので、放送時間が長く念入りに作られたドラマを観直して、良かったと思う。

 

その他、池井戸潤作「下町ロケット」は原作よりも、ドラマ化されたものの方が前作は良かったので、期待している。林真理子作「西郷どん」も原作はあまり面白くなかった。地元の英雄、西郷隆盛の話で、大河ドラマだから、お付き合いのようなカタチで見てしまっている。最終的にどんな評価を下すのだろうか?

 

 

「ひょっこりひょうたん島」

自分が生れたのは、1964年の東京オリンピックが開催される前年。東京タワーが建設され、新幹線が開通した高度経済成長期。日本中がイケイケの状態で、未来に希望しか見れなかったのじゃないかと疑うほどの時代だったのだと思う。

そんな中、一番古く記憶に残っているテレビ番組は、「ひょっこりひょうたん島」だ。

ネットで検索してみると、1964年4月6日から1969年4月4日まで放送されていたようだ。それでいて、番組の内容は全く覚えていない。

記憶に残っていて、懐かしく思い出すのは、「サンダーバード」だ。1966年に日本でも放送されたようだが、この時はサンダーバード2号のプラモデルを買ってもらい、それで遊んだ記憶がしっかりと残っている。

自分の幼い頃は、このように人形劇が普通に放送されていたし、小学校でも確か人形劇の公演があったと記憶している。

そして、先の「ひょっこりひょうたん島」は、人形劇「南総里見八犬伝」、「三国志」、「プリンプリン物語」などの放送に繋がっていった。

しかし、今や人形劇の放送は全くなく、自分には物足りない。

人形劇はなぜ作られなくなり、放送されなくなったのだろうか?

人形というものが幼稚に見え、軽視されてしまっているからだろうか?

でも。と思う。それならば、なぜマンガやアニメは今の時代でも人気を博し、日本の文化を代表するのだろうか?と。決して、表現方法が遊具としての人形だからといって、それが人形劇の衰退の原因だとは思えないのだ。

 それでは、なぜ?なぜ??と疑問は続く。

 

最近、新作の人形劇を観たのは、同じくNHKで数年前に放送された、三谷幸喜作「シャーロック ホームズ」が最後だ。

その時にこの放送を企画した関係者の方々に聞いてみたい。なぜ、人形劇は衰退してしまったのか?を。

名監督?名優?名脚本家?名スタッフ??

自分は、大のテレビ好き。

 

それが、15年ほど前から難病を患い、身体の自由を失い、仕事ができなくなって、以来、テレビを観る時間がさらに大幅に増えた。

本もたくさん読みたいが、姿勢を長く維持できず、不自由な指先でページをめくるのもたどたどしいので、自然にソファにもたれかかり、テレビを観るほうが楽なのだ。

それで、一日のうち、少しは別の時間を持とうと、このブログを書き始めた。

 

それにしてもテレビを観ると、映画を始め、ドラマ、ドキュメンタリー、バラエティー、、、と、興味のある番組が多い。自分はドキュメンタリーも大好きなのだが、ドラマは連続で放送されるものが多いので、自然にドラマを観る機会が多くなる。そして、今年BSアンテナも設置したので、観たい番組がさらに増えてしまい、BSの無料チャンネルを加え、毎日番組チェックに忙しい。

一応HDDレコーダーがあるので、どうしてもその時間に観られない番組があれば録画しておくのだが、シングルチューナーなので、同じ時間帯に複数の興味ある番組があっても観られない番組が出てくる。

以前は、それで2個3個のチューナーがついているレコーダーに買い替えようと思ったが、1チューナーでも全部観るのは難しいので、せっかく録画した番組もチェックし直し削除している。だから、観るべき番組を厳選して不要な番組は録画予約を入れないように努めている。

 

前置きが長くなってしまった。。

今、私がリアルタイムで観ているドラマは、NHKの「まんぷく」と、「カーネーション」(再放送)、「西郷どん」、「昭和元禄落語心中」。TBSの「下町ロケット」。フジテレビの「黄昏流星群」。BS12の「時間ですよ」(再放送)、「ゴーイング マイ ホーム」。BSテレ東の「忘却のサチコ」。

毎週これらと特別ドラマやテレビ放送の映画を観ているが、身を乗り出し、ご飯を食べるのを忘れるほど面白いものがとても多い。そして、時折考えてしまうのだ。その面白さの基にあるものは、何なんだろう?と。

それで思いつくのは、まず脚本家だ。もちろん、オリジナルの脚本でなく原作がある場合は、小説家や漫画家(劇作家)のこともあるが、まずストーリー、構成や、セリフ、状況設定などが面白くなければ作品は出来上がらないと思うから、脚本家をまず思い浮かべるのだ。実際に、私たち視聴者がそのドラマに接することができるのは、番組を視聴することと原作や脚本を読むことしかないのだから。

しかし、出演する俳優のチカラもあると思う。いわゆる適役、当たり役など、俳優のチカラが確かにそのドラマを活かしている場合もある。

今、観ているドラマで言えば「カーネーション」の小原糸子役の尾野真千子(先日放送

の終わった「この世界の片隅に」の黒村径子役も)は、はまり役だった。

そして、映画なら監督。テレビなら演出家。それにプロデューサーの力も大きいだろう。それ以外には、カメラマンの力も大きいと聞く。

以前、「あぶない刑事」の村川透監督のドキュメンタリー番組を観ていたら、戦友的存在というカメラマンの仙元誠三撮影監督がいて、彼に全幅の信頼を寄せる監督が映されていたし、黒澤明監督にも「黒澤組」という映画製作チームがあり、その中心メンバー斎藤孝雄というカメラマンがいた。

そう言えば、アカデミー賞の時期になると、特殊メーキャップや衣装デザイナー、音楽効果など様々な分野に渡り、その道のプロフェッショナルがいて、映像作品が作られていることに気づかされる。

 

時々そんなことを思い出し,テレビを観るとますます興味が沸いてくる。

そんな“チームの和”から出来あがるドラマを観るのが、自分は好きなのかもしれない。

脚本家、鎌田敏夫

前回、ドラマ「天皇の料理番」について書いたとき、自分が尊敬する脚本家として、鎌田敏夫氏の名前を挙げた。

好きで、尊敬する脚本家なら何人かいる。大御所の倉本聰氏や、向田邦子氏、、など。しかし、自分のシナリオ好き、ドラマ好きを決定づけたのは、おそらく鎌田敏夫氏だと思う。

それは、小学生の時苦い思い出を残したNHK人形劇「南総里見八犬伝」の連続放送が終わった頃、放送が始まった「俺たちの旅」との出会いが強烈だったからだ。

俺たちの旅」をよく知る人たちは多いだろう。その人気から、後年アイドル・グループ「V6」の「カミセン」メンバーの、森田剛三宅健岡田准一の三人で、1999年に「新・俺たちの旅 Ver.1999」としてリメイクされた。

本家のドラマも、その人気はなかなか冷めず、放送終了から10年ごとにスペシャルドラマとして放送されたほどだった。

自分は「俺たちの旅」の世界に魅了された。青春、友情、自由、生きるということ、それらのことをテレビ画面を通じて、中学校に入学するかしないかの頃、未来に向けて期待していたのだ。

そして、やがて高校を卒業し大学生になった自分は、ドラマの舞台にもなった東京吉祥寺の町に住むことになり、この地で20年近くを過ごした。

そんな自分の人生の一部を決定づけた作品が、「俺たちの旅」なのである。

その脚本を書いたのが、「鎌田敏夫」さん。今振り返ってみると「サインはV」「男女7人夏物語」「太陽にほえろ!」「金曜日の妻たちへ」「戦国自衛隊」など、ここに書ききれないほどのヒットを飛ばしている。

世の中に著名な脚本家はたくさんいる。その中でこれほどの話題作、ヒット作を書いた鎌田氏の名前をどれだけの人が知っているだろうか?